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2006年5月23日 (火)

轢逃げ

 小学生の轢逃げが今ニュースになっていますが、この事案、一度被害者の小学生を車に乗せて現場から離れたところで放置していたことって、法的には凄く大きな意味をもっています。
どういうことかというと、仮に轢いた現場に被害にあった小学生を置き去りにして逃げた場合、(わざと轢いた場合は別として)道路交通法違反(轢逃げ)と、業務上過失致死傷にしかなりません。
刑法上、車の運転は業務上過失致死傷罪の業務に該当し、通常の過失致死傷罪より刑が重くなっていますが、それでも車を運転して誰かを轢いてしまった場合、その犯罪の本質は「過失」に基づく犯罪なんです。
だから、間違って轢いてしまって、そのまま逃げて、誰も気づくことなくそのまま死んでしまっても(業務上)「過失」致死罪にしかなりません。
ところが、今度の犯人は轢いてしまった子供を車に乗せてしまっています。いったん車に乗せて、その後に放り捨ててしまうとですね、車で轢いたときに即死していた或いはまもなく死んだ場合は、「死体」を捨てることになるので死体遺棄罪になります。
そして、今回の様に被害者が生存していて、これを車に乗せて別の見つかりにくいところに捨ててしまった場合は、その後、首を絞めたりといった積極的な殺害行為を行わなくても殺人罪になってしまいます。

 どうしてかというとですね・・・。
刑法では、法益を侵害したときに、その法益を侵害した人を罰するわけですが、その人が罰せられるのはその人が「悪い人」だからではなく、「悪い行為」を行ったから罰せられます。
したがって、人を死なせた場合、その「人の死」という結果を引き起こした行為がどれなのかを特定し、その行為を罰するという発想でなりたっています。
刑法上はどの様な行為によって「人の死」を引き起こしたのかが大事なわけで、「過失行為」によって人を殺した場合は、過失致死罪にしかならず、故意殺人罪にはなりません。
だから、車で轢いてしまったけど、被害者はまだ生きているってときに、犯行が発覚するのが恐くて、助けられたのにその場に置き去りにして逃げてしまったために、被害者が死亡した場合は、あくまでも過失行為によって「死」という結果を引き起こしたのであり、「助けられたのに置き去りにした」という道義的な悪質性があるからといって、「故意」殺人罪になるわけではないのです。
ところが、車に乗せてしまうと、その被害者の生死はその車を運転している人が握ってしまいます。路上に放置されていれば、誰かが発見して救急車を呼んで助けてくれるかもしれないのですが、車に乗せてしまうと、それも期待できなくなってしまう。被害者が助かるか死ぬかは犯人の行動次第という状況を犯人自らが作り出してしまったわけなんですね。
そして、自分の犯行が発覚しないことの方が被害者の命より大事だと思って犯行を隠すために被害者を車に乗せている場合は、「被害者が途中で死んでもしょうがない」と、被害者の「死」を認容していることになり、「未必の故意」として、殺意が認定されてしまいます。
人を死に至らしめる行為・行動を故意に行っているわけですから、殺人罪に問われてしまうわけです。
(もちろん、被害者を病院に運ぼうとして、途中で死んでしまった場合は、殺意がないので新たに犯罪になったりはしません。)

 ですから、もし、みなさんが間違って誰かを車で轢いてしまった場合は、すぐ警察に連絡するのがもちろん一番いいのですが、間違っても犯行を隠すために被害者に車に載せて運んではいけません。
多くの場合、罰金で済んだはずの刑がいきなり重く(5年以上の懲役)なります。
今度の事件も、ニュースでは、業務上過失致傷罪で捜査中と表現されますが、おそらく犯人が逮捕されれば、殺意の認定がされ、殺人未遂罪で立件される可能性が高いです。

参考までに条文です。
第二百十一条1項 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁固または五十万円以下の罰金に処する。
      2項 自動車を運転して前項前段の罪を犯した者は、傷害が軽いときは、情状によりその刑を免除することができる。
第百九十九条   人を殺した者は、死刑または無期若しくは5年以上の懲役に処する。

2006年5月14日 (日)

自己採点結果

 自己採点終わりました。

憲法:14点
民法:17点
刑法:12点・・・

計 43点です。
去年の合格推定点と一緒なので・・・。
ロースクールに枠をもっていかれて
合格枠が減るので・・・・
って、ことは???
考えたくないんだけど(笑)

民法は満点??って思ってたら、
最後の三問を連続で間違えてた。
最後に解いてたから、頭が詰まってたか・・・。
ってか、刑法に一番力を入れたのに・・・
年々刑法の点が減って逝くんですけど(笑)
憲法も17点を連続で取った時代もあったのに・・・。
刑法ばっかり気にして憲法は油断してたかなぁ。
でも、3箇所、持ち帰った問題に
自分がどこをマークしたか
印がしてなくて・・・???
そこは全部×扱いにしたので、
1点くらい増えるかもなんだけど・・・。
1点上がればかなり順位があがる試験なので、
ほんのちょっとだけ希望があるんですが・・・。

とりあえず、合格発表まで信じて頑張ります。

でも、びみょー過ぎな点数なんだけど(笑)

とりあえず、今夜は部屋を少し片付けよう。

2006年5月12日 (金)

共謀罪

 共謀罪という法律が作られようとしています。
非常に問題がある法律なので廃案となることを望みます。

 マスコミにも「治安維持法の復活」などと揶揄され、
批判が多いですが、なにが問題なのでしょうか?
現代刑法においては、行為者の主観を処罰するというスタンスはとらず、
外部に現れる客観面を評価して処罰しています。
この思想と真っ向から対立する法律なんですね。

 一つの極端な価値観として、
悪いヤツは世の中から一掃すべきであり、
悪いことを「考えている」ヤツは監獄に放り込んでしまえ。
という考え方があります。
なにも悪いことをしていなくても、
考えているだけで社会にとって危険だから排除しよう、
危険思想の持ち主を排除しようという考え方であり、
「治安維持法」はこの考え方を具体化した法律です。
共産主義者は逮捕!
反体制の人は逮捕!
そういう法律ですね。

 もう一つの極端な価値観として、
刑法とは法益を保護する法律だから、
(*法益とは、殺人罪でいえば「命」、窃盗罪で言えば「財物」)
法益が侵害されなかったら処罰しないという考え方です。
この考え方を徹底すると、
例えば、誰かに向かって銃を撃ったけど、
弾が入っていなかったため、
誰も死んでいないし、怪我もしなかった場合、
法益(=人の命)は侵害されていないわけですから、
犯罪不成立と考えることになります。
 どちらの考え方も極端なわけですが、
刑法を為政者に悪用されないためには、
後者の考え方を採るべきことになるのはわかりますよね?
では、共謀を処罰するというのはこの軸の中ではどこに位置づけられるのでしょうか?

 法益を侵害することの最終段階を「既遂」とすると、
その前段階は「未遂」ということになります。
その前段階が「予備」であり、
その更に前段階が「共謀」となり、
その更に前が「考えた」だけで処罰ということになります。

「未遂」とは、実行に着手したが法益を侵害できなかった場合であり、
法益を侵害する危険性を発生させた点を重視して、
多くの犯罪でその未遂を罰します。
「予備」とは、実行に着手していないが、
その準備があった場合、法益侵害の危険性を無視できないとして、
「重大な」犯罪に限ってその予備を処罰しています。

 ところで、「既遂」と「未遂」の区別は、法益が侵害されたか否かです。
殺人罪の保護法益は人の「生命」ですから、
死んだら既遂、死ななかったら未遂となるわけですね。
そして、「未遂」と「予備」の区別は、
「実行行為」に「着手」したか否かです。
「実行行為」とは類型的に当該犯罪の法益を侵害する行為を言います。
殺人罪でいえば、類型的に人の死を招く行為です。
ナイフで刺す行為・サリンを撒く行為などがこれにあたります。
これに対し、ナイフを購入するのは、
殺人に資する(役立つ)行為ではありますが、
「類型的に人の死を招く」行為ではないので、
実行行為の着手はなく、殺人の準備行為としての「予備」となります。
 この予備罪までは、外部からみて客観的に
法益侵害(既遂)に向けられた危険がはっきりと具体化しており、
客観的な行為があるから処罰をしてもあまり問題が生じません。
つまり、既遂の場合は、殺したわけですし、
未遂の場合は、殺そうとしたという客観的事実が存在し、
予備の場合は、ナイフを買ったという客観的事実が存在します。
殺人目的でナイフを買っているわけですから、
人を殺そうとしていることがはっきりしているのであり、
そのうち実行に着手したであろうということから、
処罰してもいいと考えることができますよね?

 また、これらの差は裁判にも現れます。
客観的な事実が存在する場合は立証するのは
そんなに難しいことではないので、
不当な裁判・捜査を招くおそれが少ないです。
「既遂」「未遂」「予備」を罰するという法律を設けても問題が生じません。
しかし、「共謀」しただけ「考えただけ」を処罰するのであれば、
通常は物的な証拠が残りませんので、
これを立証する方法は限られてきます。
その典型例は拷問なんですが・・・(笑)
んまぁ、今の日本で拷問をするバカはいないのですが、
拷問はなんのために行われるかというと、
「究極の証拠」と云われる「自白」を引き出すためにあるんですね、
「共謀」を処罰するという法律を作ることは、
捜査段階で「自白」を引き出そうと
無茶な操作を招く可能性が非常に高くなるわけです。
「チカン」の冤罪事件なんかで、
おまわりさんに何度も何度も同じ質問を繰り返されて、
早く捜査から開放されて早く帰りたいがために、
やってもないのに「自白」をしてしまったって話をよく聞きますよね?
そういう捜査が横行することになる危険が非常に高くなるんです。
また、「共謀」の事実を立証するために
盗聴を認めろという方向に話がいってしまいます。
共謀罪の新設は問題が多いといわざるをえません。

 確かに、凶悪犯罪において共謀に参加した者も処罰する必要があります。
地下鉄サリン事件で、首謀者とされる松本被告ですが、
「彼は殺人の実行行為を行っておらず、
 謀議に参加しただけ」だから無罪というわけにはいきません。
ですが、彼は現実に地下鉄サリン事件で裁判にかけられています。
今の刑法のもとでも、共謀共同正犯として処罰できるのです。
しかし、これは「共謀」を犯罪とするのではありません。
殺人などの犯罪が「行われた」のを前提に、
共謀者がその犯罪の実現の原因を招いたといえる場合に
謀議に参加しただけの者も
殺人既遂の「共同実行者」として処罰しているのです。
(→殺人の「共謀」の罪ではなく、「殺人既遂罪」として処罰)
犯罪の着手もないのに、共謀を処罰するわけではないのです。
(→これは、殺人の「共謀」の罪という考え方。)

 今の日本に共謀罪はいりません。
これを強行に通そうとする自民党に危険を感じます。

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