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2006年9月27日 (水)

殺人と時効

 ニュースなんかを見ていると
法律を勉強しているがために
一般的な感覚を失ってしまっているんじゃないかと
自分を疑うことがある。

 例えば、最近女性教員を殺害し、
遺体を26年間自宅の下に埋めていた男が
(確か自宅の取り壊しで事件が発覚するから)
自首したが、時効で刑事上も民事上も
(殺人については)責任を問われないという裁判事件。
【※実際には遺体を隠匿していたことに対して
  民事裁判で330万円の賠償命令の判決がでている。】
 おいらなんかは、刑事は最長15年で時効だし、
民事も20年の除斥期間にかかっているから、
裁判やっても無駄って瞬間的に処理してしまっていた。

 ところが、テレビは「こんなかわいそうな遺族がいる!!」
と、加害者をテレビカメラで追い廻し、
「被害者や遺族に申し訳ないと思わないのですか?」
と、執拗に正義を振りかざす。
正直やりすぎだと思ってしまう。
テレビは正義を追求するのが主目的なのではなく、
おそらく視聴率が取れるネタとしか思っていないわけで、
正義を振りかざす新たな暴力にしか見えない。
そのおかげで「不埒な奴だ」と、
加害者に怒りをぶつけられない自分がいる。
このことに少し戸惑いを覚える。

 近代法は一つの思想をもっている。
人類は権力による激しい人権侵害というものを経験し、
法はこれを防ぐような仕組み・原理を持つようになった。
例えば、近代法の原則は「適正な手続」によってしか
裁判(特に刑事裁判)はなしえないとしているが、
これは拷問による自白が横行していたことに対する反省にたっている。
なぜ拷問がいけないかというと、二つの理由がある。
一つは、端的に拷問が著しい人権侵害そのものである点。
もう一つは、拷問がなされれば、「楽になりたい」という一心で、
被拷問者が無実なのに「やった」と自白する可能性が高いこと。
拷問は冤罪の温床であるという点だ。
 そして、刑事事件においての時効制度は
この「適正な手続」に関係している。
通常、15年も経ってしまうと、証拠というものは散逸してしまう。
証拠が十分に揃わないのに裁判をすると、
証拠不十分で「正しい裁判」がなされない可能性が高くなる。
これが時効制度と「適正な手続」の一つの関係。
しかし、もっと大事な視点は、証拠の不十分を補おうと、
捜査機関が被疑者の「自白を得ようと必死になる」傾向が強くなる点にある。
証拠が無いんだから有罪にするには自白を取るしかない、
「んじゃ、自白するまで拷問しよう!」というのがある意味素直な発想。
時効制度は行き過ぎた捜査を防ぐ役割も果たしているのだ。
時効制度は15年逃げ切ったことへのご褒美では決して無い。
被害者Aさん、加害者Xさん、被害者の遺族のBCさん
彼等のことだけを考えれば時効制度は不要かもしれない。
しかし、暗黒の時代に逆戻りしないためには、
われわれの幸福のためには
ABCさんには我慢してもらうしかないのだ。

【こんなかわいそうな遺族を生み出す時効制度は
 果たして必要なのか???】
 なんて番組を作るテレビ局には私は同調できない。
そんな私は冷たいのだろうか。

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